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エッセイ「田舎暮らしの想い出」

    

                  (一)

 昨日から降り続いた雨は霧雨となって鉾田の空を煙らせていた。雨戸を開けると湿った空気が舞い込み衣服を濡らした。
二泊の予定で横浜の家を出たが、新鉾田を過ぎると雨脚はさらに強くなり、ぬかるんだ農道に残した車輪の跡は、たちまち水溜りを作った。水飛沫は勢いよく田畑に跳ねつけ、乗用車はどろどろになった。
田園風景は広がり、ごぼう、さつまいも、人参などの育つ柔らかい葉を横目に、栗の実る林に出た。落ちたイガの中から茶色の栗の実が雨に打たれて艶っぽく光っていた。浸水の農道、雑草の群生する中をよくも走ってきたものだと思いを馳せた。

 栗ご飯、納豆、ほうれん草のおひたし、大根とニラの味噌汁などの朝食をいただいた。霧雨は止まず、楽しみにしていた周囲の散策もあきらめ、二階のアトリエで運んできた箏を弾いた。音色はフローリングの床に弾くように反射し、不在のハイカラ菜園の別荘に魅惑の音を響かせた。

 玄関でチャイムが鳴った。階下に下りると雨はいつの間にか上がっていた。
庭造りを依頼していた庭師が、一ヶ月ぶりに訪れた私たちに挨拶しにやってきた。
昨日は大雨で気付かなかったがよく見ると、居間に面した南の空地には土が盛られ、畑が三畝出来ていた。小松菜とほうれん草の種が蒔かれ、イチゴの苗が三株植えられていた。霜にあてなければ秋にでも味わえると、まっ黒に日焼けした顔で誇らしげに説明する。
東南の角にはシュロが植えられ、ノウゼンカズラを絡ませるそうだ。ここへ向う道中にも、農家の庭先の大木に絡んで鮮やかに咲き誇っている光景をよく見かけた。深緑の中にハッとさせられる朱色の花は夏の暑い時期に相応しい。この花が好きな私への気配りが感じられる。

農家のお年寄り達がハイカラ菜園と呼んでいるが、ここの別荘も不在がちでは荒れていく一方である。田舎暮らしのブームに乗って雑木林や空地を別荘地として開拓されたその一角を私たちも購入し家を建てたが、片道3時間の道のりを週に一度足を運ぶのが精一杯である。せっかく植えた植物も手入れを怠れば枯れてしまう。 庭師はここに目をつけたのであろう。年間15,000円で草取り、水やりをやらせてほしいという。まわりの菜園を見ると、手入れの行き届いた庭にはみごとに育った野菜たちが生産者の訪問を誇らしげに待っている。

わが家の庭にも芝を植えることになった。植え込みの間をおおうと680枚の芝が必要という。1枚500円、二日間の作業料30,000円を加え、64,000円でどうかと言う。傍らで黙々と草を取っている庭師の女将が交渉の成行きを窺っているようでもある。何となく成行きで注文することになった。

 翌朝5時に起床し、海岸に向った。微かに朝焼けはしていたものの水平線は厚い雲に覆われ、太陽の姿はなかった。車を高台の砂地に停め、長靴に履き替えて外に出た。柔らかい砂地を一歩一歩踏みしめながら海岸線に向い、ふと顔を上げると、オレンジ色の太陽が雲間から顔を出していた。太陽は見る見るうちに雲を払いのけ、水平線を遥かに越えて空間に大きな大きなオレンジの毬となった。
引き潮の大きなうねりとしぶき、かもめの飛び交う小さな動き、釣り糸を投げる人、浜辺に遊ぶ波の花、大自然の息吹の中で神の声を聞いたような気がした。視界180度巡ると陸地の丘、樹木との境界には十六夜の月が浮かび、太陽と月は東西の彼方より言葉を交わしていたに違いない。鳥たちはその声を聞き、樹木はその波動の中で覚醒し、波はエネルギーを伝達する。そして人間は大いなる神の愛の中で生かされている小さな生命。そんな気がした。

 山栗のご飯、採れたてのさつまいも、あさりの味噌汁の朝食を堪能した。
バイクの音が辺境の地の静寂を破ってこのハイカラ菜園に入ってきた。新聞屋さんが私たちの訪問に気付いて朝刊をサービスしてくれた。人里離れた中にも鉾田の町の情報は掴むことができた。

 やがてうつらうつらとしてきた。小春日和の柔らかい日差しが居間に差し込み、夫もいつの間にか夢見顔で眠っていた。風邪をひかないように新聞紙を布団代わりにかけてやり、階上に上がった。

 ハイカラ菜園別荘が積み木を組み立てたように山間の一角に点在して建ち、それは広大な田園の中で異国の雰囲気を漂わせている。ここへ来て一年余り、少しずつ溶け込んでゆく私たちである。

                (二)


 十日ぶりに訪れると、雲ひとつない紺碧の空がハイカラ菜園の上にも広がっていた。空中を仰ぐとトンボの大群が群れ飛んでいた。東側の木立には赤紫色のアケビが数個実をなしており、竹棒代わりに高窓用の開閉ポールをくくりつけてアケビを採ろうとするとポールの先にトンボがとまった。トンボは頭にも指先にもとまった。
早朝、杉林の小径をどこまでもどこまでも歩いて行くと田園風景が広がっていた。鬱蒼とした林の中には名も知れぬ茸が数種、老木の根元や腐葉土の中から顔を出していた。二メートルも伸びたアワダチ草が秋の彩を添えている。
農家の畑にはさつまいも、大根、里芋が収穫をひかえ、人参の柔らかい葉が秋風にそよいでいた。

星がキラキラ輝く夜、大洗の海岸へ国道51号線を走らせると、道路沿いに農家の出店が目に付いた。さつまいも一箱500円、メロン二個1,500円、柿六個500円を買うとさつまいもとキャベツと大根のおまけがあった。

 翌朝、ご来光を仰ごうと鉾田の海岸へ向った。波打ち際を戯れながら、大竹海岸まで散歩した。波が引くと砂上に打ち寄せられた鰯の稚魚が、眩い光を受けてキラキラ輝き、あちこちの砂浜でピクピク跳ねていた。地元の釣り人に聞くと、大きな魚に追われて逃げてきたのだと言う。掌にのせると、一生懸命逃れてきたのであろう、苦しそうに大きく口を開けたまま、やがて堅くなっていった。砂もたくさん飲み込んだ様子。広い太平洋の海原から行き着いた先がこの浜では何とも可哀そうな運命であろうか。
ウエイン・W・ダイアー博士がフロリダの浜辺を歩いていた時に、銀色に輝く何千匹もの小魚が浜に打ち上げられ、ピチピチと苦しそうに跳ねているのを見て、一匹ずつ海へ投げ返してあげたそうである。彼は生きとし生けるものに宿る神を意識し、敬意と愛情を持って優しく接する努力の大切さを伝えている。日頃私たちが食べている動物や植物も愛の対象の例外ではないと説いている。
私たちも一瞬海に返そうかと思案したが、荒波の海に返したとて、また引き戻されるであろうと考え、魚屋の店頭に並ぶ魚よりはるかに新鮮だという釣り人の意見を尊重し、人間が戴くのが唯一の供養と勝手に決め、30匹ほど持ち帰った。
そして片栗粉をまぶして油焼きしたが、油の量が少ないせいと、やはり砂を飲み込んでいるためか、じゃりっとした舌触りにがっかりさせられた。甘露煮も試みたがうまくいかなかった。鰯の稚魚には申し訳ないことをしたが、食卓にのった他のメニュー、ふかし芋、柿とキャベツのサラダなど地元で採れた食材で自然の息吹を満喫した。
しかし、鰯の稚魚が海岸に打ち寄せられるということは稀なことで、地元の人でさえ稀なブルームーン現象であると知らされた。
この日、名も知れぬ鳥がなき、カメムシが戦闘機のように飛び交い、トンボが頭や靴にも止まり、それを観察する私たちも自然の一部なのだと実感した一日だった。


              (三)

 雲ひとつない青空の広がる小春日和、守谷SAの芝生内のベンチに腰掛け、サンドイッチの昼食をいただく。エリア内の賑わいも常磐道の騒音も遠くの世界のように感じられる。
ハイカラ菜園に到着すると3時を少々回っていた。近所の犬が親しげに出迎えてくれる。約半月ぶりの再会に犬もうれしげに運ぶ荷物に飛び上がってじゃれ付いた。
晩秋の日暮れは早い。一休みもそこそこに、街道沿いの出店、さつまいもを売るおばあさんを訪ねた。小振りだがホクホクのさつまいもが好評で、同僚への土産にするという夫の希望なのである。腰の曲った、しかし元気なおばあさんが焼き芋を食べながら、車を停めて立ち寄る客にサービスしていた。一箱500円を購入すると泥つき芋をサービスしてくれた。シワシワの手に日焼けした幸せ一杯の顔があった。

 国道を大洗に向かって走っていると、小さな魚屋が目に入った。海の広がるこの土地に魚屋がないことを不満に思っていたので嬉しくなり、早速車を停めた。奥行きのない間口二軒ほどの店には秋刀魚、マグロ、タコが目に入った。ここの海で獲れた魚はと聞くと秋刀魚とタコとのこと。珍しくもない大衆魚だが一味違う気がして秋刀魚2本(180円)を買った。
夕食のメニューは、秋刀魚のムニエル、サツマイモのてんぷら、チンゲン菜とニラのクリーム煮、うずら豆の煮物、山菜の炊き込みご飯、若芽のスープ、横浜の自宅では味わえない豪華な食事を楽しんだ。

秋刀魚の頭と骨と尾、さつまいものてんぷらを犬に分け与えた。犬は何でもガツガツ食べた。日頃、人に接する機会が少ないのであろう。愛に飢えた犬は泥のさつまいも、土の中の配合肥料、笹や土までも食べていた。花を植えようと庭にしゃがみ込むと猫のように纏わりつき、シャベルで土を掘ると顔を突っ込み、少々気を許すと、抱きついて離れようとしない。あまりの煩さに酷く叱ると恨めしそうに帰って行った。犬の種類にもよるが、雑種であるこの犬は、痩せ気味で豚のような肌をしており、眉間の黒っぽいあざが正直可愛いとは言えない。擦り寄ってきた時の生々しい温もりが不快感さえ感じさせた。犬は最大の愛をもって近寄ってきたのに、心から受け入れてあげられなかった私たちには犬を飼う資格はないと、可哀そうな気もし、少々反省もした。

昨夜からの風雨がハイカラ菜園の家々を叩きつけたが、朝はさわやかに明けた。納豆、葱味噌、かぶの味噌汁とご飯でささやかな朝食を済ませ、長靴を履いて森の中へ散策に出かけた。杉の木の根元に集まる腐葉土を、堆肥にすべくビニール袋に入れ持ち帰った。
木立の向こうには田園が広がり、雨上がりの田畑からは水蒸気が燃え上がっていた。さつまいもの収穫が終わって、ごぼう、人参が植えられていた。
突然の轟音に驚いて見上げると、戦闘機が真っ青な上空で訓練飛行をしていた。
笹竹を拾って狙い打ちをかけたが、焼夷弾で集中攻撃されそうな気がして、急に恐ろしくなり、竹を森に捨てた。 
畑を抜けるとまた杉木立のトンネルに入った。濡れた木の葉で湿った足元には、植物に必要なバクテリアが繁殖しているような自然の息吹を感じた。
木立を抜けるとまた田園風景があった。水を抜いた後の水田と畦道、その畦道の際を流れる小川には、無数のトンボの死骸、小魚、たにし、青蛙、バッタ、イナゴなどが群れていた。水溜りのゴミを払うとその下には山椒魚の稚魚が黒い姿を覗かせていた。子供の頃に体験したこんな自然の有様を、五十路を越えた今、再び味わうことができることに感激し、幸せを思った。

                (四)

 田舎暮らしの夢は意外にも早く覚めてしまった。それは心が冷めてしまったのである。定年後は移り住んでも好い意気込みだったのに、ここに暮らす意味が空虚に感じるようになり急に焦りを感じはじめた。周囲に点在する別荘の建設も更に広がる形成もあるが、それを見ても何も感じなくなっていた。それよりも早く自宅に戻り、地に足をつけた生活をしなければという気になってしまった。

 幸い、地元の信頼できる不動産屋と、別荘を求めてこの地にやってきたという保険外交員の姉妹に出会い、売買が成立した。この出会いがなかったら、家を売るチャンスが訪れなかったであろうと考えるとぞっとする。そしてこれが神の計らいのような出会いであることは後日知ることとなった。
その5年後、夫は他界し私は一人暮らしを余儀なくされた。

 後悔はすまい。損得は考えまい。約二年余りの歳月を楽しませてくれたのだ。夫の少年時代は戦時中、疎開先の栄養失調で身体を壊し、青年期に肺結核を患い、退職後の楽しみも味わうことなく肝臓ガンで旅立った。64歳の無念の旅立ちである。このハイカラ菜園別荘での生活が唯一心休まる楽しみとなったことであろう。

 何故田舎暮らしを始めたか、そして何故急に計画変更となったか、すべて神のみが知る計らいであることに感謝する日々である。

                                            ゆう

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