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エッセイ「心向くままに」


 私は草取りや清掃が好きである。何故かというとその成果を見たり思い浮かべたりすると心が和むからである。ではそういう仕事に就けば好いと思うだろうが、それは違う。たまにやるからである。
畑では植栽した野菜と一緒に伸びる草を、手で抜いたり、鎌で刈ったり、ただ大地をひたすら見つめて黙々と突き進み、ふと手を休めて振り返ると、黒々とした土に野菜たちが一際輝いて見える。この時間は自我を忘れ、あるがままの自分になれる。

今日、団地内の共有部分である階段の清掃をひとりで行った。5階建てだが自分の居住する3階から1階までを。やる気満々のスポーツだった。
梅雨の季節は湿っぽく、くもの巣がはって小さな虫が繁殖し、天井や蛍光灯、壁などに塊になって付着している。放っておけばお化け屋敷のようになり、やがてスラム化する。月に一度の一斉清掃日だけでは間にあわない。10世帯の住人が毎日数往復する階段は汚れが早い。私は気になって仕方がない性分なのである。
傘立てもないのに置きっぱなしの階下の踊り場には小さな虫が発生し、傘の周辺をたむろしていた。私は手ぬぐいで頭を覆い、脚立に乗り箒で天井と蛍光灯の周りのくもの巣を払い落とした。その作業を階下まで行った。
1階の若奥さんが突然ドアを開けたのが脚立にぶつかった。驚きながらお互い挨拶を交わす。
「すみません。家でやらなければいけないのに」と恐縮していた。
「いいのよ」と私は言った。
彼女はポストから郵便物を取り、部屋に入っていった。
新聞配達のバイクが止まり、夕刊を配りに来た。頬被りのいでたちの私を見て、恐縮して階段を駆け上がり、直ぐに降りてきた。
私は玄関のポストの上や天井、壁を箒で掃いていた。
私の部屋の向い側に住む夫婦が買い物から帰ってきた。病弱な奥さんは最近笑顔が消えている。毎日の買い物が夫婦で出掛ける唯一の運動を兼ねた気分転換の様子である。階段の清掃などできる身体ではない。元気に見える私が羨ましいのであろう。恨めしそうな顔をして静かに上って行った。

煤払いと掃除が終わった私は、今度は水をはったバケツと雑巾を持って踊り場に出た。玄関とメーターボックスの壁、表札などの拭き掃除である。やはり3階から1階まで順に行っていった。
4階の息子、ついこの間まで小学校の坊やだった子供がいつの間にか社会人になっていた。ほっそりとしたかっこよい青年が帰宅し、階段を上ってきた。すれ違いざまに挨拶した。
私は「掃除のおばさんです」と言った。頬被りが可笑しいらしく青年は噴出すように笑い出した。
「何笑ってんのよ!」青年は今まで見たことのない親しい表情を見せた。
「見てごらん。天井が煤だらけだったのがきれいになったでしょ!」
青年は天井を見上げて「ほうー」と言った。
「スラム街のような所に帰ってくるのはいやでしょ!」
「うん」と言って、上って行った。
男の子はいい。こういうつっけんどんな会話ができる。女の子だったらこうはいかないだろう、と思った。

2階の奥さんがポストの郵便物を取りに下りてきた。
掃除をしている私を見てびっくりし、
「暑いのにごくろうさん」と言った。
「きれいになったでしょ!」と私はきれいを催促した。
しかし彼女は私のいでたちを見て労いの言葉を発したが、きれいだとか、汚いとかは実はどちらでもよいのである。気にしないタイプなのである。実際、彼女の住む2階の踊り場は両側の住人共に清掃に無頓着なのである。一年中置きっ放しの傘、しかも帯止めもせずに放置している。そこに虫が発生し、上部の表札にも虫の巣が出来ているのも気がつかない。だから、今それがきれいになったことも気がつかないのである。私は押し付けがましいことは言わない。何故ならばこれは自分のためのスポーツなのだから。

他の住人も階段を上下する時は足元を見て天井を見る人は殆どいない。だから天井をきれいにしても気がつかない。
私は幸か不幸か、気になって仕方の無い性分なのである。実際、きれいになると私は最高に幸せな気分になれる。だからこの共有部分の階段という空間をきれいにするのである。それは畑の草取りと同様、終わったあとの達成感と清潔感が満足感に変わり、最高の快感となるひとときなのである。

汗と埃まみれになった身体を清め、心地好い疲労感を音のない世界でひとり静かに酔っている私である。

                                           ゆう

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