Entry: main  << >>

優しい時間 「八」

  「くさび」を忘れて                            

「あっ! どうしよう!」
戸惑いの奇声をあげたのはTさん。
今度は何だろう。一瞬不安感が皆の心に宿りました。

 入居者80名とデイ30名の待つ老人施設青葉の丘で、琴の演奏の準備のため荷を解き始めたその時のことです。楔を忘れたと言うのです。
くさびは立奏台を組み立てるとき、ぐらぐらしないよう隙間に打ち込むための形状で必要不可欠な部品です。取りに戻る時間はありません。そこで咄嗟に思いついた知恵、施設から割り箸を提供していただきました。 1膳を三つに折り隙間に埋め込みました。立奏台二台で八か所、10膳の割り箸とその小袋がくさびの代用となり、一件落着となりました。

和箏の演奏をお年寄りが喜ぶと言うことでいろいろな施設から要請がありますが、演奏するためには爪ひとつ忘れても用を足せません。マイカーに積み込む前に細心の注意が必要となります。それでも忘れてしまうのは人間だからです。

 琴柱を立て、調弦を済ませた琴と諸々の小道具を携えて三階の大広間に着くと、すでに80名のお年寄りが車椅子に座して整然と並んで待っています。待ち疲れてはいないだろうか。ここまで出揃うにはかなりの時間がかかったはず。入居者を退屈させないための種々イベントを企画する施設側の配慮も感じさせます。 一望すると、窓の景色からは保木公園の樹林が広がり環境は至高の空間となっている。

 八橋検校の「六段の調べ」を演奏しました。この年代のお年寄りの多くは宮城道夫の音楽になにがしかの影響を持っています。太ももに指を置いて弾く真似をしたり、口三味線なども脳のアプローチへとつながります。ふと思います。私たちが車椅子の席に座ったら、どんな音楽に心躍るだろうかと。

 ま、余計なことは考えず、お年寄りを思いっきり元気にさせるには、声を出すこと、歌をうたうこと。童謡や歌謡曲をたくさん用意し、次々と歌っていただきました。表情豊かな人もそうでない人にもマイクを振り、この瞬間を楽しんでいただきました。

 マラソンコンサート。三階が終わると直ちに琴を担ぎデイサービスのお年寄りの待つ一階に移動。すでに30名のお年寄りが広々としたロビーに縦長に座っています。デイはさすがにお元気な方たちが多く会話も弾みます。

 施設の佇む環境に感動するとそうだとばかりに身体で応えてくれます。何と言っても一番は緑です。鶯のあまりにも上手な鳴き声にその音源を探すと、市街化調整区域の保木の森の緑の中でした。

 皆で歌った歌は夏の思い出・富士の山・赤とんぼ・荒城の月・影を慕いて・北上夜曲・あざみの歌・こがね虫・浜辺の歌・浜千鳥・故郷・上を向いて歩こう。

 北上夜曲を気持ちよさそうに歌っている男性に尋ねるとその発祥の地がご自分の故郷と応えてくださいました。 

 施設の愛唱歌となっている故郷を大合唱し、エンディングの夕焼け小焼けにノスタルジックな気分を誘い、ちょっぴり別れを惜しみました。 「みなさまお元気で。またお会いしましょう」     

 何よりも感謝せずにはおれない道具、楔の役割を最後まで完璧に果たしてくれた割り箸たちでした。お琴をしっかりと支えてくれたのです。

            感謝!                                                     完 
| comments(0) | - | pookmark▲ top
Comment »Post New